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全日本スキー技術選手権大会に参加して
伊藤明子
                                      2000・3・28

 
     みなさん、こんにちは!例年なら、もう春の気配を感じ「スキーシーズンもそろそろ終わりか・・・」と感じる季節柄だというのに、今年は1カ月遅れの気候でまだまだ滑れそうですね。そんな3月、私は通算8回目の技術選に出場し、目標20位以内はならなかったものの、お陰様で昨年よりは順位を上げ37位という自己最高順位で終えることができました。もちろん、出るからには勝ちたいと思っていますから、満足!の成績ではありませんが、やっぱり少しでも成績が上がったことは素直に心から嬉しく思います。

   
   実は今回の技術選は私にとって待ちに待った大会だったのです。
 大学1年〜3年までの間、八方尾根での技術選で「ゼッケン?番、?選手スタート」、「只今の得点???点」というアナウンス係り(ウグイス嬢ならぬカラス嬢)をしていて、「いつかこの八方の技術選で私も滑ってみたい!」と思い続けて早?年。出場8回めにしてようやくこの八方で滑ることができました。(わーい!)
   
   思い起こせば、私が初めて技術選に出場したのは大学4年のとき。学連予選に出場し、補欠となったはずが1位の選手が全日本の出場を辞退したことで、運良く出場できることに・・・。しかしこの年、念願の八方尾根から尾瀬岩倉に会場が移され「ベンディングターン」という新たな種目が加わり、分けがわからず他の選手の真似をしてウニョウニョと脚を動かしていましたっけ。おまけに総合滑降で思いっきりスライディングでゴール(つまり転倒)。結果はたしか・・・、56位だったと思います。
   
   その翌年は就職をしたこともあり県予選を突破できず、そのまた翌年、再び全日本へ。しかし、今度は野沢温泉が会場となり、その後ルスツ、石打丸山、田沢湖、岩岳と会場が変わり、その間種目は変わるし引退する選手がいれば新たに若手選手が次々と現れ自分のレベルが上がっても周りのレベルも上がっていく・・・。いつの間にか1〜2点足りず予選通過ができない41位付近が私の指定席のようになっていました。「たかが1点、されど1点」なのです。痛感しました。
   
   毎回予選が終わる度にリザルト待ちをする監督、コーチを冷や冷やさせていたようです(苦労をおかけしました)。ようやく初めて予選通過を果たせた田沢湖の技術選では、4種目中3種目滑ったにも関わらず、悪天候のため2種目で順位が決定してしまい結局ギリギリの40位。
 なかなか念願の八方で滑れないし成績は伸びないし・・・。「この先どうしよう・・・」と思っていた頃、「2000年に八方で開催」と聞き、「これはひとつ、やるっきゃないでしょ!」ということで、気分を一新。ホームゲレンデでもある八方での技術選に向けてがんばりました。
   
   まずは自分に自信をつけるためのトレーニングをすること。そして積極的にスキーを思いっきり楽しむこと。(これが大切!)
 そしてほぼ順調に大会直前まできたのですが、いざ本番が近づくと様々な思いが空回りしてか、滑ることが恐くて恐くて・・・。このときの不安はターンすることすらどうしたらよいのか分からないほどでした。それでもゼッケンの威力は凄いもので、ゼッケンをつけて「スタート」とコールされるとそれなりに滑れるものなんです。(内心は不安でいっぱいで、ただただ必死でゴールを目指すのみでしたが)予選初日が終わって仲間のいるスキースクールへ戻ると、滑ることへの自信のなさや思うように滑れなかったことへの悔しさ・・・などいろいろな気持ちが込み上げてきてわんわん・・と泣いていました。(恥ずかしい!)
   
   私の場合競技する以上、初めから「出ることに意義がある」というのは好きじゃないので、「やるからには勝ちたい」し、他人に負けることはもちろん自分に負けることはそれ以上にイヤ!それなのに初日はまったく全てに負けていましたね。それでもスキースクールの先輩や仲間からの応援、神奈川県チームの温かい雰囲気のおかげで2日目には元気良くチャレンジすることができました。なんて単純なんでしょう。急に滑ることが楽しくな
り、スタートでは「ひゃっほー!」っていう気持ちでしたね。自分でも自分の気持ちの変化、滑りの変化にはびっくりです。まさに『心・技・体』を実感しました。
   
   そして、2年ぶりの準決勝進出。思いっきり滑りきりました。最後の総滑など「わー!サイコーに気持ちいい!また滑りたーい!」って思っていましたから。
 「決勝でジャンプ台を滑りたい」「デモ選に出たい(以前はデモになりたいなんて思っていましたが)」という目標は達成できず、やはり悔しい思いもありますが、2000年、30才で、念願の八方で8回目の出場を果たし、多くの声援(準決勝だというのにものすごい数のギャラリーでした)とDJの声の中、八方尾根スキースクールの仲間たちが一生懸命整備してくれたバーンで(技術選の舞台裏はものすごーく大変なのです)、監督・コーチ、神奈川県チームのみんなが見守ってくれる中、思いっきり滑り、笑顔で終えることができたことは本当に幸せなことだと思います。
   
   県の選手の中で最年少だったはずが、いつの間にか年長組に入ってしまい、ものすごい年月を感じますが、年々楽しく良いチーム体制ができてきて、そんな中でみんなととものがんばってこれたことに改めて感謝します。競技すること、勝つために努力することって、もちろん辛いこともありますが、その
成果が結果として出たときの喜びは何とも言えません。また同じ目標をもった仲間がよきライバルとなり刺激となり、自分に与えてくれた力はとても大きいと思います。スキーを通して得たものの大きさを今、改めて実感しています。これからは自分の経験を活かして、これから技術選を目指す人たちに何か力になってあげられたら・・・と思っています。
   
   

 長い間応援して下さった皆さん!今まで本当にありがとうございました。そして、これから技術選やデモ選を目指す皆さん!ぜひぜひ目標を高くもってがんばって下さい。勝負に捕われすぎてはつまらないけれど、競技することの楽しさってってあると思います。

 ここに紹介できなかった体験談や技術選の裏側など数えきれないほどありますが、それはまた別の機会に・・・・

                   伊藤明子 SAJブロック技術員

 
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