ホー ム > 行事レポート >  2002 > 海外スキーサンアントン   3  
海外スキーツアー
ザルツブルグ・ウィーン
荻野恭宏
◆6日目:サンアントンとお別れ
 毎朝食毎に卵の食べ方(スクランブルエッグ、目玉焼き、ゆで卵)を聞いてくれるおかみさんともお別れで、バスに揺られて一路ザルツブルグへ。。。お昼丁度にホテルへ到着。
すぐさまチェックインをして各自部屋に荷物を置いてホテルで昼食。。
ホテルで日本人ガイドと合流して徒歩にて旧市街へ観光へ出向きました。
◆ザルツブルグ
 ザルツブルクといえば、モーツアルトの生誕地として有名な街。
市内の中央を、ゆっくりとザルツァッハ川が流れ、新市街と旧市街に分けてます。
この辺りは、紀元前1000年位から、岩塩の採取が始まり、その後ケルト人によって、本格的にヨーロッパに輸出され始め、以来塩の交易で栄えてきた。 ザルツブルクという街の名も、「塩の砦」に由来している。
◆中性にタイムスリップ
 1000年もの間、神聖ローマ帝国の大司教領として、歴代の大司教が権力を持ち、 競って教会や宮殿を建て、宗教都市として繁栄してきた。 1996年、この街の歴史地区全体が世界遺産に指定されています。旧市街のホーエンザルツブルク城や、オーストリアで最も古いサンクトペーター教会、大聖堂、新市街にあるミラベル庭園など、 小さな街なので、歩いてゆっくり散策できます。 まるで、中世にタイムトリップしたかのような、時間を忘れさせてくれる街です。
◆モールアルトの生家など
 ホテルからでてすぐミラベル庭園(サウンドミュージックでドレミの歌を歌った舞台)で、写真を撮りながらモーツアルトの生まれた家や住んでた所などを見学して、旧市街の看板で有名なゲトライデ通りを見学、ザルツブルグ大聖堂・・・(もともとは774年の創建らしいが、1598年に中世のドームが焼失、17世紀初頭の大司教の建築熱で「北のローマ」の代表とも言える、壮大なローマン・バロック様式の建物が出来上がった。
◆ザッハトルテを食べて
 ヨーロッパ最大級という約6,000本ものパイプをもつパイプオルガンや見事な中央ドームのフレスコ画が美しい。モーツァルトが洗礼を受けた洗礼盤もそのまま残っていた。また、カラヤンの告別式もここで行われたとか)も見学して、旧市街で解散。。私は帰りがけにホテルザッハーで有名なザッハトルテを食べてホテルに戻りました。

◆7日目:この日は移動のみ
 ザルツブルグを9時に出発、貸しきりバスでウイーンには12時半着。午後は自由行動で街をプラプラ。のんびりしました。

8日目:いよいよ現地、最終日です。音楽の都、ウイーンの観光です。

◆シェーンブルン宮殿
 この宮殿の色は「マリア・テレジアン・イエロー」と呼ばれ、女帝マリア・テレジアお気に入りの色だったそーです。宮殿の後ろには巨大な庭園(動物園、なぜか日本庭園まであったりする・・・)が広がってます。
体力のある人は庭園コース。部屋の中を見たい人は宮殿内コースがイイですよ。わた
しは庭園の先にあるグロリエッテまで行って来ました。ここからの眺めは素晴らしいです。結構キツイ上り坂を延々と登るのはちょいと一苦労ですが、体力のある方はぜひ一度トライしてみてください!運動したあとのグロリエッテ内のカフェで飲んだビールが、すっごく美味しく感じられましたよ(^^)
18世紀当時、この宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮として使われており、マリー・アントワネットもここで幼少期を過ごしました。ここは「離宮」だけあって、豪華な中にもゆったりした雰囲気だと思いました。宮殿内にはマリー・アントワネットの肖像画、彼女の手による刺繍も飾られており、アントワネットの少女時代を垣間見ることができます。他の兄妹たちの作品なども飾られていて、ちょっとだけアットホームです。ちなみに、彼女の兄弟は総勢16名!何人かは成人前に死亡してますが、それでもスゴイ・・もっとすごいのは、みんな両親が同じだとゆーことです。1793年にアントワネットが処刑されてから、彼女の形見として実家に送り返された家具も、ここで見ることが出来ます。
◆ベルベデーレ宮殿
  ラテン語で「美しい景色」という名の宮殿。300年位前の【オスマントルコとの戦い】で有名な将軍「オイゲン公」の夏の離宮として造られた。上宮下宮間の斜面に広がるバロック庭園の眺めの美しさが有名で、世界10大美景と言われる。上宮はクリムトの「接吻」で知られるウィーンの3大美術館(美術史美術館/レオポルド美術館)の内の一つ。下宮は中世バロックの美術館。
◆シュテファン大聖堂
 この大聖堂の起源は、1140年頃に教区教会としてウィーンの城壁の外に建てられたのが始まりです。1263年ボヘミア王オットカル2世の時代に、ロマネスク様式の建物が建てられました。当時の建物の部分が、現在でも一部に残っているそうです。この後、ゴシック様式の建物が建って、14世紀には大型化、上記の南塔も建設されます。15世紀に北塔の建築もはじまりましたが、これは上記の通り未完のままになっています。1945年のソ連軍によるウィーン侵攻のために、多くの部分が焼け落ちてしまったそうですが、戦後に再建されて現在に至っています。

 その他ウイーンでは数え切れない博物館、美術館、音楽関係などなどたくさんありますが全部回っていたら一週間でも足りません。
午後からはまたまた自由行動でモーツアルトのお墓に行った人もいました。私は丁度
土曜日で蚤の市で掘り出し物をあさっていました。
何を買ったかは内緒です。。日本で食べたら取ってもおいしかったです。

◆ウイーンの夜に酔った
 最後の夜を飾るべく、街の中のホイリゲ(居酒屋)で最後の晩餐を楽しみました。
ちょうど昨日、誕生日だった参加者がいたので男性全員でバラの花束を買い求めプレ
ゼントをして、音楽を聞きながらウイーンの夜に酔ったよい一日となりました。
今回も参加者がとても協力的で荷物をバスに積んだりするときも降ろしたりする時も皆が仲間意識を持って手伝ってくれます。
ある時などはバスが狭い路地で曲がれない時など、男性全員で小さな車をどかしたり、団結力の強いチーム?となっています。
こんな横の関係の強いグループはなかなか少ないものです。1つの目的意識を持って
いる仲間が本当に楽しいと感じさせてくれる
ツアーでした。これからもスキーが楽しいのはいい仲間といられることだと認識しつづけていきたいと思います。
 ご参加の皆さんありがとうございました。また来年も海外スキー、ご一緒しましょう
♪ 添乗員:荻野 恭宏


ホー ム > 行事レポート >  2002 > 海外スキーサンアントン   3