大房英一 水野矯夫氏とレルヒ少佐
前略 10月17日の藤沢協会50周年記念にご出席下さいまして誠にありがとう御座いました。 藤沢スキークラブの会員でした水野矯夫(たけお)さんは、1980年〜1998年の間部員でしたが他界いたしました。享年88歳。手紙には色々と書いてありますのでよろしくお願いいたします。乱筆にて失礼します。 藤沢スキークラブ 名誉会長 大房英一
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藤沢スキークラブの皆様への言葉 長い間、楽しくクラブでスキーをやらせていただきましたが健康上の理由でスキーをやめることにしましたので一文を書きます。クラブ会員は続けさせてください。 さて、小生スキーを最初にやったのは幼稚園の時です。生まれたのは北海道の陸軍師団将校官舎で明治四十四年三月八日に産声を上げました。 戦後鵠沼に移り住み藤沢美術家協会を作り、市展を開き小林英見氏の父上(天才的画家)の交誼にあづかりましたが、スキーが流行して来ましたのでやって見たくなり若い友人に少し習い八の字形のスキーを覚えて毎年スキーに行きましたが、急斜面は駄目で年齢からいえばスキーをやめる頃になって、藤沢スキークラブに入会させていただき、パラレル等を指導して貰い三級に結構よい成績でパスし、猛然とやる気が出て来ました。遂に二級も取りましたがそれから上達は捗々しくなく、小林会長の御好意があり一級を受けて大房指導員から一級をいただきましたが、外部に発表できないのですが、七十二歳で元気にスキーをやっている事を若い方々の手本そして特別に合格させたと、授賞式で大房氏が一同にお話がありました。今でもなんとかスキーをやれましが、これは生まれつき無類に足が強かったからです。(中略) スキーは全くよいスポーツです。今日のようにゲレンデが混んでいても空気は清く美しい山々を望み、子供から老人まで同じ現場で楽しめる唯一のスポーツと思います。 妄言多謝 八十四歳 水野矯夫 ※写真に書かれている文字については現在解読中です
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